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2005年09月05日

◆全斗煥の“分身”・張世東

20050905a.jpg

ドラマ「第5共和国」で全斗煥の忠実な腹心として
描かれた張世東(장세동チャン・セドン)。

しかし、リアル李鶴捧と、ドラマで描かれた彼が異なるキャラクターだったように、
張世東もそういった可能性があるのかもしれない…と疑って調べてみたところ、
この人物、ドラマで描かれる以上に全斗煥に対して忠実である。

66年のベトナム戦争時、派越猛虎部隊中隊長として赴任していた
張世東が負傷した際、全斗煥が見舞いに来たのが最初の出会いだという。

TK(大邱・慶尚北道)勢力が幅を利かせていた軍政時代にあって、
張世東は全羅南道の出身だった。
当時、湖南人(全羅道出身者)は不遇を極めていたが、
彼は「ハナフェ」の一員として、12.12クーデターに参戦し、
五共時代には大統領警護室長、国家安全企画部長として“勢道”を振るった。

全斗煥の元を去り、盧泰愚系に付いて六共時代も中核にいた
許三守のような人物と違って、張世東は全斗煥と共に失墜した。

張世東は、「12.12クーデター」、「光州事件」、「日海財団事件」、
「機密費事件」で、4度に渡り拘束されている。

「五共非理」聴聞会の時には、「全責任は自分にある」と主張し、
捜査の拡大を防いだ。

「(全斗煥)を拘束しようとするならば、私が歴史の歯車に
巻き込まれたとしても、これを阻止します」
「男ならば、己を認めてくれた者のために命を捧げます」

張世東の台詞に、巷では、「義理堅い人物」「男の中の男」といった賛辞が漏れた。

出獄後、彼は真っ先に、全斗煥のいる百潭寺に向かい、
「休暇からただいま帰りました」と挨拶したという。

12.12当時、張世東の直属の上司は張泰玩だった。
しかし、彼にとっては、ハナフェの人脈や全斗煥との関係が上に立ったのである。
いや、むしろ全斗煥との関係が強かったのだろう。
同じハナフェ内でも、全斗煥系と盧泰愚系は分裂し、その間を往来する者もいた。

張世東は最後まで全斗煥に対する忠誠を崩さなかった。
「第5共和国」で、張世東が青瓦台に向かって土下座する場面は、
その象徴的場面であった。

20050905b.jpg

張世東の略歴

1936年9月27日:全羅南道・高興出身
学歴:城東工業高等学校、陸軍士官学校16期

67年:首都警備司令部30警備大隊作戦将校
77年:同30警備団長
80年:3空輸特戦旅団長
81〜85年:大統領警護室長
84年:予編(中将)
85〜87年:国家安全企画部長
02年第16代大統領候補(無所属)
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