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2024年03月19日

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2006年04月22日

◆12.12の特攻隊長・許三守

20060422a.jpg 

3許の関係は許三守を中心にして構成されている。
許文道と許三守が高校時代の同級生で、許和平と許三守が陸士同期生。

12.12時に鄭昇和総長を連行する役割を務めたため、功労者と称される。
元々、勇敢な性格だったらしい。
6共政権に寝返ろうと試みるなど、強かと言うか、案外セコイ一面も見せている。
よっぽど全斗煥政権が嫌になっていたのか……?

職業:国会議員、軍人
生年月日:1936年9月18日
学歴:釜山高等学校→陸軍士官学校→延世大学校経営大学院
出生地:釜山
話題:保安司人事処長(大領)、大統領司正首席秘書官、14代民自党国会議員

略歴
1979年陸軍:保安司令部人事処長
1980年:国家保衛非常対策委員会立法会議政化分科委幹事
1980年:陸軍准将予備役編入
1980年:青瓦台秘書室司正首席秘書官(〜82年)
1982年:米国スタンフォード大学フーバー研究所研究員(〜87年)
1987年:民正党国策評価委員
1990年:民自党釜山東区組織責任者
1991年:韓国文化研究員理事長
1992年:第14代国会議員(民自党)
1994年:国会商工資源委員会委員(〜96年)
1995年:新韓国党(民自党後身)国会議員
1996年:新韓国党脱党、国会国会議員

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2006年04月02日

◆第五共和国の立役者・許和平

20060402a.jpg

職業:国会議員、研究者
生年月日:1937年10月15日
所属:現代社会研究所所長
学歴:浦項小学校→浦項中学校浦項高等学校→陸軍士官学校→陸軍大学

1975年:歩兵第9師団大隊長、作戦参謀
1979年:国軍保安司令官秘書室長
1980年:陸軍准将予備役編入
1980年:青瓦台秘書室補佐官
1982年:青瓦台秘書室政務第1首席秘書官
1983年:米国ヘリテイジ研究所首席研究員
1988年:現代社会研究所所長
1992年:第14代国会議員(無所属、慶尚北道・浦項)
1992年:国会経済科学委員会委員
1995年:国会通産委員会委員
1996年:第15代国会議員(無所属、慶尚北道・浦項北)
2003年:現代社会研究所所長
2004年:第17代無所属慶北浦項北区国会議員候補


12.12クーデターも第五共和国も、全てはこの男によって描かれたもの、
と言わしめたほどの人物。
しかし、有能すぎる故に、後に全斗煥大統領からは煙たがられてしまった。
今現在においても、12.12と第五共和国について、自信満々に語る。
再現ドラマで、新軍部不利に描かれると、真っ先に抗議してくるのは、
李鶴捧とこの人である。

20060402b.jpg



2006年01月12日

◆若い頃の全斗煥

20060113a.jpg



2005年09月05日

◆全斗煥の“分身”・張世東

20050905a.jpg

ドラマ「第5共和国」で全斗煥の忠実な腹心として
描かれた張世東(장세동チャン・セドン)。

しかし、リアル李鶴捧と、ドラマで描かれた彼が異なるキャラクターだったように、
張世東もそういった可能性があるのかもしれない…と疑って調べてみたところ、
この人物、ドラマで描かれる以上に全斗煥に対して忠実である。

66年のベトナム戦争時、派越猛虎部隊中隊長として赴任していた
張世東が負傷した際、全斗煥が見舞いに来たのが最初の出会いだという。

TK(大邱・慶尚北道)勢力が幅を利かせていた軍政時代にあって、
張世東は全羅南道の出身だった。
当時、湖南人(全羅道出身者)は不遇を極めていたが、
彼は「ハナフェ」の一員として、12.12クーデターに参戦し、
五共時代には大統領警護室長、国家安全企画部長として“勢道”を振るった。

全斗煥の元を去り、盧泰愚系に付いて六共時代も中核にいた
許三守のような人物と違って、張世東は全斗煥と共に失墜した。

張世東は、「12.12クーデター」、「光州事件」、「日海財団事件」、
「機密費事件」で、4度に渡り拘束されている。

「五共非理」聴聞会の時には、「全責任は自分にある」と主張し、
捜査の拡大を防いだ。

「(全斗煥)を拘束しようとするならば、私が歴史の歯車に
巻き込まれたとしても、これを阻止します」
「男ならば、己を認めてくれた者のために命を捧げます」

張世東の台詞に、巷では、「義理堅い人物」「男の中の男」といった賛辞が漏れた。

出獄後、彼は真っ先に、全斗煥のいる百潭寺に向かい、
「休暇からただいま帰りました」と挨拶したという。

12.12当時、張世東の直属の上司は張泰玩だった。
しかし、彼にとっては、ハナフェの人脈や全斗煥との関係が上に立ったのである。
いや、むしろ全斗煥との関係が強かったのだろう。
同じハナフェ内でも、全斗煥系と盧泰愚系は分裂し、その間を往来する者もいた。

張世東は最後まで全斗煥に対する忠誠を崩さなかった。
「第5共和国」で、張世東が青瓦台に向かって土下座する場面は、
その象徴的場面であった。

20050905b.jpg

張世東の略歴

1936年9月27日:全羅南道・高興出身
学歴:城東工業高等学校、陸軍士官学校16期

67年:首都警備司令部30警備大隊作戦将校
77年:同30警備団長
80年:3空輸特戦旅団長
81〜85年:大統領警護室長
84年:予編(中将)
85〜87年:国家安全企画部長
02年第16代大統領候補(無所属)




2005年06月04日

◆鄭昇和陸軍参謀総長

20050604a.jpg

2002年6月12日死去。
晩年はパーキンソン病を患っていた。




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