朴正煕政権時、青瓦台秘書室長や中央情報部長を務めた李厚洛氏が
2009年10月31日老衰のため死去。享年85歳。
◆車智澈の礼拝
車智澈警護室長の初登場は教会での礼拝場面である。
クリスチャン人口が非常に少ない日本人には、傲慢な性格の
車智澈が礼拝をする場面は不自然に見えるかもしれないが、
これは、彼が敬虔なクリスチャンで、朝夕の礼拝を
欠かさなかった習慣を描いているのである。
◆ワンウェイミラー
金載圭が西氷庫分室で拷問を受けている最中、
窓に手をついて全斗煥に悪態をついている場面がある。
あの窓ガラスは、全斗煥側からは中にいる金載圭の様子が見えるが、
実は金載圭の方からは全斗煥らの姿が見えていない。
見えていない筈なのに、さも全斗煥の姿が見えているかのように
叫んでいるのは、金載圭が元陸軍保安司令官で、
西氷庫分室の仕組を熟知している事を表すドラマの演出である。
◆朴善浩から金載圭に渡った拳銃
金載圭が大統領の頭部を狙って2発目を撃った銃は、
最初に使用したワルサーPPKではなく、部下の朴善浩から奪った
S&Wの38口径5連発リボルバーだった。
しかし、何故かこのドラマでは、交換後もオートマティック拳銃を使用している。
この誤りは韓国人視聴者からも指摘を受けていた。
◆申才順の歌
彼女が歌ってる最中に金載圭が発砲するのだが、実際の申才順は
ド音痴で、沈守峰がギターで伴奏するのに手間取るほどの酷さだったという。
ドラマで申才順の歌が上手いのは、緊迫した場面が
間抜けにならないように配慮した為?
◆その他のNG表現
このドラマの撮影は春から夏にかけて行われたので、
10月26日という設定なのに、屋外場面では若葉が
芽吹いている木々が映ってしまっていた。
金載圭の執務室場面では、窓枠の外に紅葉樹林の写真が
貼られていて不自然極まりなかった。
他にもドラマ内では、「不正」を「不定」、「少将」を「小将」と表記するなど、
細かい漢字のミスが見られた。
また、KCIAの庁舎玄関に「情報は国力だ」という標語が
掲げられていたが、実際には、あのような標語は無かったらしい。
左手前が金鍾泌。右隣り中央の人物は、失踪した金炯旭第4代目KCIA部長。
軍事独裁政権下で頭角を現した者のほとんどが失脚の憂き目を
見ているように、彼も例外なくその1人であった。
朴正煕から格別に嫌われていた金鍾泌は、「自意半、他意半」の言葉を残し、
外遊を余儀なくされた事もあった。
帰国後も、度々このような家宅捜索を受けていたのである。
ドラマの中ではおとなしい朴英玉であるが、実際は家宅捜索を受ける度に
ヒステリーを起こし、陸英修女史の元に抗議しに行っていた模様。
このドラマでは省略されているが、前作「第4共和国」では描かれた表現があった。
金載圭は、この家宅捜索の時、同い年で陸軍士官学校では
後輩に当る金鍾泌を「閣下」と呼んでいる。
これは皮肉ではなく、かつて国務総理だった金鍾泌に対して
敬意を表してこのように呼んでいたものと思われる。
しかし、金鍾泌はこの呼称を嫌った。
大権を狙っている事を臭わせるような会話は命取りになるからである。
金鍾泌の通称は、名前のイニシャルを取ってJP。
ドラマの中で、彼はほとんどこの通称で呼ばれている。
他、金泳三にはYS、金大中にはDJという通称がある。
この3人はまとめて「3金」と呼ばれている。
朴正煕には、陸英修夫人との間に、
長女・槿惠、次女・槿暎、長男・志晩の3人の子供がいた。
彼らの母親である陸英修は、1974年8月15日に行われた光復節記念式典で、
大統領を狙撃した在日韓国人の文世光と警護室との銃撃戦の最中、
流れ弾に当って命を落としていた。
3人の子供たちは、両親をテロという悲劇的な行為によって失ったのである。
長女の槿惠は、陸英修女史の死後、ファーストレディとしての役割を
担っていたが、この当時、崔太敏という人物が総裁を務める
セマウム奉仕団という団体の活動に心血を注いでいた。
ところが、金載圭率いるKCIAによって、崔太敏総裁と団体の不正を
調査されてしまった為、槿惠は金載圭を酷く恨んでいた。
度々父親に、金載圭KCIA部長を更迭するようにせがんでいたという。
崔太敏と同団体の不正は深刻なものだったらしく、大統領も実の娘が
関わっている問題だった為、かなり頭を痛めていた。
当時の状況を知る者達は、次女の槿暎も含めて崔太敏を非難している。
長男の志晩が制服姿でジープに乗って大統領の通夜に駆けつける場面がある。
彼は当時、陸軍士官学校に通っていたが、学校を抜け出しては、
悪友達とつるんで女遊びをするなど、素行不良の問題児であった。
両親の悲劇的な死が朴志晩の人生に暗い影を落としたのだろうか。
彼はその後も幾度となく覚醒剤中毒で逮捕される生活を送った。
林常樹(イム・サンス)監督の映画「ユゴ 大統領有故(그 때 그 사람들)」の
冒頭部分にある朴正煕大統領の実際の葬儀場面が上映禁止になったのは、
朴志晩の抗議によるものである。
左:朴志晩、中央:朴槿暎、右:朴槿惠。
陸英修は常日頃から、李厚洛や朴鐘圭といった
権勢を振るう側近達の存在を懸念していた。
その事を度々夫に進言しており、別名「青瓦台の野党」とも呼ばれていた。
しかし、朴正煕自身は、場面の台詞にもあるように夫人が政治に
口を出す事を快く思っておらず、時には夫人に手を上げる事もあったという。
※1……金将軍
金載圭はこの当時、維政会議員で、KCIA次長に任命される前日の出来事であった。
中将で退役した元軍人であった為、ここでは「将軍」と呼ばれている。
※2……李厚洛(イ・フラク)
第6代KCIA部長で、大統領府秘書室長も務めた。
名前のイニシャルから取って、通称・HR。
頭脳明晰な人物として知られ、「諸葛曹操」の異名を取った。
KCIA部長時代に金大中拉致事件を起こし、その責任を取って辞任。
以降は表舞台から去り、隠遁生活を送った。
※3……朴鐘圭(パク・チョンギュ)
車智澈の前任の大統領府警護室長。
5.16軍事クーデターにも参加し、朴正煕に重用される。
「ピストル朴」の異名を持ち、長官をも殴打するような激しい気性の持ち主だった。
警護室は大統領に女性を宛がう事に関わっていた為、
その事で度々陸女史から責められていた。
文世光による大統領狙撃事件で陸英修が死亡し、
その責任を取って警護室長を辞任した。