◆「第5共和国」10.26場面の裏話(2)
◆朴正煕の3人の子供
金桂元秘書室長から大統領逝去の知らせを受けた朴正煕の長女・槿惠は、
開口一番「休戦ラインは大丈夫ですか?」と国の危機管理について尋ね、
気丈な面を見せている。
朴正煕には、陸英修夫人との間に、
長女・槿惠、次女・槿暎、長男・志晩の3人の子供がいた。
彼らの母親である陸英修は、1974年8月15日に行われた光復節記念式典で、
大統領を狙撃した在日韓国人の文世光と警護室との銃撃戦の最中、
流れ弾に当って命を落としていた。
3人の子供たちは、両親をテロという悲劇的な行為によって失ったのである。
長女の槿惠は、陸英修女史の死後、ファーストレディとしての役割を
担っていたが、この当時、崔太敏という人物が総裁を務める
セマウム奉仕団という団体の活動に心血を注いでいた。
ところが、金載圭率いるKCIAによって、崔太敏総裁と団体の不正を
調査されてしまった為、槿惠は金載圭を酷く恨んでいた。
度々父親に、金載圭KCIA部長を更迭するようにせがんでいたという。
崔太敏と同団体の不正は深刻なものだったらしく、大統領も実の娘が
関わっている問題だった為、かなり頭を痛めていた。
当時の状況を知る者達は、次女の槿暎も含めて崔太敏を非難している。
長男の志晩が制服姿でジープに乗って大統領の通夜に駆けつける場面がある。
彼は当時、陸軍士官学校に通っていたが、学校を抜け出しては、
悪友達とつるんで女遊びをするなど、素行不良の問題児であった。
両親の悲劇的な死が朴志晩の人生に暗い影を落としたのだろうか。
彼はその後も幾度となく覚醒剤中毒で逮捕される生活を送った。
林常樹(イム・サンス)監督の映画「ユゴ 大統領有故(그 때 그 사람들)」の
冒頭部分にある朴正煕大統領の実際の葬儀場面が上映禁止になったのは、
朴志晩の抗議によるものである。

左:朴志晩、中央:朴槿暎、右:朴槿惠。 PR
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